創作庭のニヒリスト

落書きと、フリゲプレイ日誌と、雑記。

index

更新履歴

information

日誌 …… フリゲに関するプレイ日誌を、絵を交えてざっくり書いている。
雑記 …… つらつらと絵を描きながら語るだけ。
独白 …… 執筆鍛錬用の短文置き場。

memo
フリーゲームのことを語ったり、絵を描いたり、日常を語ることが多いです。
色々なことに好奇心と向上心が波打っている。
閲覧はパソコン推奨。
管理人

芝生

HN:芝生
ゲームとかお絵かきとか小説とか猫とか好きです。

独白

(18/06/12)「蘇生」【十三頁】
「孤独が怖いのだろう? 侮辱が怖いのだろう? 視線が怖いのだろう? だったら強がらずに泣き喚けばいいじゃないか。口汚く相手を罵ればいいじゃないか。自分を無下にしてまで世間様が用意した線路を沿ってさ。結局得られたのは苦痛と絶望と希死念慮だけじゃないか! 本当はもっと崇高なものを得たかっただろうに、無様なものだね」

 違う。

「何が違うって言うんだ。一つも違いやしない! 君は恐れのあまりに周囲を突き放して、無関心を装っているつもりでいて他者からの評価に敏感で、ずっと己を殺し続けてきたじゃないか! それだけのことをして何を得た? それだけの罰を自分に与えて、何を欲しがったんだ?」

 それも違う。

「どこまでも言い訳ばかりの恥知らず! 現実を見ろよ! この非情な足元を見ろよ! 救いようのない、どこまでも延々と続く赤々と燃えたぎる淵に立って、瀬戸際で歩き続けることになんの価値があったっていうんだ?」

 そこに価値などない。

「ほらやっぱり、本当はわかってるんだろう? だったら、これからどうするかもわかってるんだろう?」

 もういいよ。

「既にこの腐った場所に辟易として唾棄して諦観しきっているのなら、成すべきこともわかっているはずだろ? ほら、さっさと首をくくれよ」

 そんなことをしなくてもいいよ。

「君は馬鹿なのか? これ以外に選択肢なんてものはないんだ。暗澹とした世に堕ちるか、己の首を切り落とすか、それでしかこの苦しみから抜け出す術はなく、どこまでも影のように君に纏わりついて苦しみ続けるんだぞ!」

 そうじゃない。

「何が違うっていうんだ!」

 纏わりついてるのは影じゃない。
 そこにあるのは自分自身の思考の影だ。

 君の言葉に正直に答えよう。
 私は孤独を感じて、不安と恐怖に苛まれた。これから一体、何が待ち受けているのか。誰の助けも得られずに、ただ死を待つのか。世間は私を咎めるだろうか。社会は友などいない私を、無価値な人間として切り捨てるだろうか。仲間を思いやれない人間に、愛情など湧く物好きなどいるものかと。
 私を蝕むのは冷たく、刺すような痛みを伴う、害毒のような孤独だと思っていた。
 だがそうではなかった。初めこそ臆病に何かを恐れていたが、私はある時、気付いたのだ。
 私が本当に恐れているのは、今まで直視せず、世話もせず、放ったままの自分自身であると。
 必要以上に周囲に目を向け続けるのは、弱った自分を隠すためだ。本当は自身の治療を先にすべきであったのに、私はそれを差し置いて、周囲に愛想を振りまくことでどうにかして内側の私を救ってはくれないだろうかと大いなる期待を寄せていた。失望しているようで、それをも上回る歪に折れ曲がった信用を周りにだけ向けていた。私の手ではもう救えないと、見切りを勝手につけて。
 孤独がつらいのは、嫌でも自分の素性を知ることになるからだ。見たくもない醜い部分を見れば見るほど、目を背けたいがために、苦しんででも周囲のことに尽力していった。
 いつだって私は、私の目は、外に向けられていた。私の非力さを頑なに認められず虚勢を張って、それでいて貧弱な私を匿うために必要以上に周囲を敵と見なして威嚇して、過保護に寵愛された内なる私は、ただ牢獄に閉じ込められていただけだった。
 ただ、自分との対話を求めていただけだったのに。弱さを改善しろと私は押し付けるばかりで、人から真面目であると言われても、慰めの言葉を貰っても、称賛を浴びても、卑屈に構えつつも誇らしげに笑む自分を忌まわしく思って、より一層と自分は汚らわしく狡賢く冷酷であると苦言を呈した。
 すべて自分の思考だ。世間の声も、君自身の声も、責める声も、笑う声も。
 だが、その妙な癖も、無理に改善する必要はないと断じた。それらの行為は何か内側の私が警鐘を鳴らすためにとった手段であり、不要で排除すべきものではない。必要だったからこそ、それが表に出てきたのだ。周囲に構わず自分を見ろと気付かせるために、それは表に出てきたのだ。

 だから私は今、内なる私を対面し、苦しみ悶えながらも、目を背けるときがあっても、必ず再び視線を戻して考えを汲み取ろうとしている。内なる私は酷い状況であった。ようやく会えたとき、内なる私はぼろきれを身に纏って異様に痩せこけて、憔悴しきった目つきで、息も絶え絶えにそこにいた。何度も首に手をあてがって楽にしようかと考えたが、それもやはり、私から逃げ出すための手段と同等であろう。
 臆病な私は、内なる私でさえも恐ろしく思えていた。けれど、そうではなかった。私自身の思考は、何があろうと私自身の揺るぎない思考だ。どれだけ奥に抑え込んだとしても、わからないとうそぶいても、そこには間違えようもない私の考えや感情があった。
 まだもう少し時間はかかるだろうが、内なる私は、良き友となることだろう。誰よりも嘘偽りなく私に対して言葉を述べ、親身に言葉を聞き、感情に対して共感を返してくれる。つらい境遇であっても、至福の時間であっても、産まれてからこの時までずっとそばにいるのは友人や家族ではなく、私自身であった。
 小さな間違いも受け入れ、不調な日を排除しようと改善するよう指摘することもやめた。治す場所などどこにもない。醜いところがあっても構わないのだ。認めることと受け入れることは少し異なることも知った。嫌な点を良い点だと思考を改善することが認めることで、嫌な点は嫌な点のまま改善の手を施さなくともよいと置いておくのが受け入れることだ。

 孤独はつらいだろう。けれど、今この時こそ、私と真面目に話し合うことができる機会は少ないだろう。
 だから今はどうかせめてこの時だけ、周りのことなど何も考えず、自分の感情に素直に、自分の進みたい道を共に夢見て、己の人生を内なる私と共に歩いていこうと思う。
 聞こえるかい。この地に命の恵みを授かり、今ここに至るまで共に居続けている内なる私よ。
 これから二人で、何をしようか。

Copyright (c) 創作庭のニヒリスト All Rights Reserved.

FC2Ad